他人との関わり方に自分との関わり方がでる

気に入らないから

合わないから

わかってくれないから

 

ほんの些細なすれ違いだけで、頭にきてしまい、すぐに人間関係を切る人がいる。

 

でもその前に、相手を理解しようと努めたり、自分を理解して欲しくて話し合ったり、自分に反省点がなかったか確認することは必要ですよね。

 

経験的に感じることは、他人に対して理解しようと努めない人は、自分に対しても理解しようと努めない人がほとんどだなという印象です。

 

他人との関わり方に、自分との関わり方がでるなぁ

そんな風に思います。

 

口では相手や自分のことを理解したいと言ってはいても、

態度が伴っていない人も中にはいます。

それは本当に理解しようと思っていないのです。

 

他人と向き合うことをしない人は、自分と向き合わない人

自分が正しいと思い、自分は変わる必要が全くないと思っているから、

相手を変えようとばかりする。

 

相手が変わらないと「理解し合えない」と自ら放棄して、

すぐに切ることができる。

 

このようなタイプの人間を見てきて、共通する点はいくつかあるのだが、

その中のひとつに「共感能力が低く、心のコミュニケーションを交わす能力が欠けている」ことがある。

 

人当たりがいいかどうか、人見知りかどうか、寡黙かどうか、話がうまいかどうかなどは関係ない。その場つなぎの上っ面なコミュニケーションはうまい人はいくらでもいて、一見コミュニケーションとれている人のように見える人もいるからだ。

 

そういうコミュニケーションではない。

他者に共感できるかどうか
心のコミュニケーションができるかどうかだ。

 

それができない。

 

人間関係には、好き嫌い、合う合わないは確かにあるけれど、

それは自分で距離感を調整すればいいだけのこと。

 

すぐに切ってしまうのは、自分には共感能力はなく、距離感を調整できる能力が低いと発表するようなものだ。

 

意見が違うのは当たり前であるし、人には必ず長所と短所が存在する。

その長所と短所も受け取り側によって長所が短所だったり、短所が長所に見られることがある。

 

kirahika.hatenablog.com

 

 

でも、距離を調整することさえせずに、関わり自体を自ら捨ててしまう人がいる。

そんな人たちは狭い世界で生きていくことになるのだと思う。

 
自分が認めた者しか付き合わない、好きな人しか周りに置かない、自分のことを好きでいてくれる人しか周りに置かない、そんな狭い世界だ。


狭い世界で生きているから成長していかない。


相性はあるから付き合いに偏りは出るのは仕方ないけれど、

相性が悪い人間とどう付き合っていくか?と頭を悩ませたり、

嫌な思いをしたりして反面教師で人はコミュニケーションを学んでいくのだと思う。

 


自らその関係をすぐに断ち切ってしまう人たちは

学びの機会を自分で断ち切っているため、

いつまでたっても心のコミュニケーション能力が上がらない。

 

害を与えられて苦痛であるとか、どうしてもストレスが消えないとか、

最後の最後まで話し合ったけど理解しあえなかったとか、

そこまでいってしまったらお互いに離れたほうが良いだろう。


わたしも実際に実害があるときは建設的な別れを選択するほうだし、

関係を切ること自体が悪いことだとは思っていないけれど…

 


ただ「自分が正しいと思い込み、相手を簡単に切って排除しただけ」のような形には極力したくないなと思う。人を責めたり、他人のせいにする前に、まずは自分の共感能力を養おう、距離感の調整能力を養おうという発想があったほうがいい。

 

そうやって、人を簡単に切り捨てる傾向にある人は、自分との関わる機会も切り捨てているのだと思ったほうが良いのだ。

 

「始末」には人柄がでる。

特に終わらせ方はその人の本質が見えるような気がする。

 

始末の悪い人間にはなりたくないなぁといつも思うのでありました。

 

※2016.02.04<「人との関わり方」は「自分との関わり方」である>の記事をリライトしました

 

 

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