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人生は自分でデザインする 【 きらきらひかる 】

-人生は自分でデザインする-     アドラー流で生きる 安西光のブログ

トラウマは存在するのか?しないのか?

 昨日は『アドラー心理学によるトラウマ研究』講師:長谷沼紀子さんの講義に参加してきました。

 

嫌われる勇気の見出しには「トラウマは存在しない」と紹介されており、その言葉が一人歩きしてアドラー心理学はトラウマを否定していると思われがちですが、アドラー自身はこう語っています。

いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分自身の経験によるショックーいわゆるトラウマーに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。

アドラー・セレクション人生の意味の心理学(上)/翻訳岸見一郎/アルテ

「トラウマが存在しない」ではなく、トラウマ経験をしたことに対して自分でどう意味を与えるのか、意味づけするのか、ということです。

 

嫌われる勇気の見出しでは「トラウマは存在しない」と紹介されていることについて考えたことは「トラウマは存在しない」と断定する形で見出しをつけインパクトを与えることによって目を引くようにしたのだと思います。(それが果たしていいのかどうか、チェックしなかったのかどうかは個人的には首をかしげるところではあります)

その言葉が一人歩きしてしまった感があります。

 

ゼミナールの詳細についてはこちらをご覧下さい。

blog.goo.ne.jp

 

経験によって決定されるのではなく、その経験に対して自分で意味づけをしている

アドラー心理学も「トラウマは存在する派」と「存在しない派」はいらっしゃると思いますが私自身は「存在する派」です。

 

ですが私自身、実際トラウマを抱えて悩んだり苦しんだりしたことはありません。

プロフィールを読んでいただくとわかりますが私の人生はトラウマの要因となりうる出来事をたくさん経験しています。

kirahika.hatenablog.com

死にそうなったことは3回ありました。虐待をうけて育ちました。

家が貧乏で暮らしていくのはとても大変でしたし、結婚した相手からはDV受けましたし、子供を失いました。一家離散し生き別れ状態だった父は東日本大震災の二次被害で1ヶ月後に孤独死、変死体で見つかったりと…

簡単にパパッと書きましたが、人によってはトラウマの要因になりそうな事実はたくさんあったわけです。でもトラウマを抱えることは一切ありませんでした。

 

わたしはずっと「過去に同じ環境に育ち、同じ経験をしていても、人それぞれの捉え方をしている」と思っていました。わたしの実体験で同じ親同じ生育環境同じ経験をしたきょうだいが見事に三者三様の性格・別々の世界の住人になってしまったことを経験したからです。

 

一人は優越コンプレックスを抱き、一人は劣等コンプレックス抱き、そしてわたしは健康な人となったわけですが、それは事実起こったことに対してみんな違う意味づけをしながら生きているからだろうなぁと思っていました。

ですからそういった意味で起こった事実だけで判断してしまうようなトラウマの解釈は否定していました。

kirahika.hatenablog.com

kirahika.hatenablog.com

 

わたしがあまりにも健康に育ったので、こういう話をすると「何か心に蓋をしている」とか「無意識に何かを抑えている」と思われることもあります。

そうかもしれないし、そうでないかもしれません。

 

ただ、いま自分が幸せに生きているならわざわざ蓋を開ける必要もなく、そこを掘り起こして何になるのか。これこそ原因論もどきのような気がします。

「こんなに大変な思いしてるのになんでこんなに明るく生きていけるの?何か訳があるはずだ!」と他人がそこを疑っても、わたしが気になっておらず今が幸せなのだから考える必要はないと思ってます。

 

虐待という事実があったとしてもわたしのようにそんな過去のこと気にしない人もいれば、心に傷を負ってしまう人もいる。

大切な人を失った事実があったとしてもわたしのように乗り越えられる人もいれば、乗り越えられない人もいる。

 

人の対処能力やキャパみたいなものは個人差があると思うし、生まれつきの気質なども関係していると思っています。

 

世の中には色々な人がいて、トラウマを経験したことがなくてトラウマは存在しない人もいれば、トラウマを抱えてトラウマは存在する人もいるし、わたしのようにトラウマは経験したことがないけどトラウマは存在すると思っている人もいるでしょう。

 

トラウマが存在するかどうかという「存在」自体にフォーカスすることなんて正直どうでもよくて、トラウマの使い道について考えてほしい。

トラウマ的要因をどう受け止めるか(建設的に生きていけるかどうか)が大切なのだとわたしは思います。

 

 

 

* 個人相談、カウンセリングのメニュー・料金につきましてはこちらをご覧ください。


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