安西光(ぴかりん)のブログ【きらきらひかる】

-自律の光で心を照らす-安西光のブログ

最近考えている「自分がどうして自分なのか」論 〜その3〜

こんばんは。ひかるです(^^)


昨日の記事に引き続き。
最近考えている「自分がどうして自分なのか」論 〜その1〜



最近「わたしも脳のどこかがぶっ壊れているのではないか?」と思い始めた。


そう思ったきっかけは先日このような記事を見つけたからだ。


【黒バス脅迫事件】実刑判決が下った渡邊被告のロジカルでドラマチックな『最終意見陳述』があまりにも切ない



色々考えさせられる記事で多くの人に読んでもらいたいと思うのだが、今回個人的な感想の部分はおいといて【地獄だった小学校の6年間】の部分の文章で「乳幼児期の時点で自分が何らかの脳機能的欠陥を持っていて「感情・規範・安心」のサイクルを上手く理解できなかった可能性が高いと思っています」という部分に目がいった。


その脳機能的欠陥が悪い形で出てしまうこともあれば、良い形で出てしまう場合もあるのではないか?と思いついたからだ。


それはサヴァン症候群のように特定分野に優れた能力がわかりやすい形で表れるのではなくて、もっともっと分かりにくい形で出てくることもあるのではないかと考えた。

わたしは以前「悩みがない人間だ」と記事にも書いているが、もしかしたら脳機能的欠陥が良い方向に出て「悩みがない」に繋がっているのではないかと今回仮説をたててみた。


人生経験が増えると悩みを作らないように工夫ができるようになるので悩みがない人は出てくるけれど、元々「子供の頃から悩みを持ったことがない人」とはだいぶ異なり、後者はやはり珍しいケースだと思う。


子供の頃から他人に劣等感を抱かない、比較しない、嫉妬しない、苦しまない、悩まない。(「しない」というと語弊があるかもしれない。無意識にはあるかもしれないので、表面には出たことはないという表現にしておこうかな)



今考えてみると、何も考えていない本当のバカだったんじゃないかと思うくらい周りを気にしたことがなかったと思う。


家が貧乏だとか、家庭環境が酷いとか、容姿や能力についてなど、気にしたことがなかった。



それは周りの子供や家庭と自分を比較をしたことがなかったからだ。比較をしないから貧乏かどうかわからないし、家庭環境が酷いかどうかもわからない。


子供の頃から人間の身体なんて同じ物質で出来ていて外の容器が違うだけだと思っていた。


「ただ痩せている人」「ただ太っている人」「ただ可愛い人」など見たものをそのまま受け止めるだけで「だから◯◯ちゃんは羨ましい」とか「◯◯ちゃんのようになりたい」とは思ったことがなかった。容器が違うだけなんだ、と思っていた。


能力があるのはやることをちゃんとやっているからだと思っていた。わたしが勉強ができないのは実際に勉強が嫌いでしてこなかったからだし、結果今でも勉強ができないのは自分がやらなかったからだ。


小さい頃から、やろうと思ってやったことは何でもできるようになっていった。

だから「できないのではない、やらないだけだ」という考え方がわたしにとっては普通だった。


目の前にあることだけに集中し、行動してきた。


だから、過去のことはあまり気にもせず、未来の心配もしていなかった。


子供の頃から「ただ今を生きている」「事実だけを受け入れて生きている」という表現がぴったりくるように思う。


このことを多くの人に話すようになったのだが、子供の頃から比較をし、嫉妬をし、何かに恐れていたという人は意外と多い。



あなたのような人間に「初めて出会った」とよく言われるようになった。


30歳前半まで世の中の人はわたしと同じように全てを自然に受け入れて生きているのだと思っていた。それが当たり前だと思っていた。


でも、どうやらおかしいぞ?なんか違うぞ?と気がついた。


自分で自分を苦しめている人、受け入れることができず悩んでいる人、自分の責任を他人におしつけている人、自立できておらず他人を攻撃する人、など溢れかえっているではないか。


心に闇を抱えた家族のことも「これなんだ!」と、その時初めて繋がったのだ。


これらの自分の養育環境や今までの人生経験やアドラー心理学で学んだこと、最近出会った人に言われたことなども含めて、色々考えた結果「わたしは珍しいタイプの人間なのかもしれない」と自覚するようになっていった。



そして【黒バス脅迫事件最終意見陳述】を読んで脳機能的欠陥の言葉を目にして、やっぱり「わたしはどこかぶっ壊れているんじゃないか?」と自然と思ってしまったのだ。



これはあくまでも想像で、壊れているかどうかはわからないし、壊れていたとしても【わたし】であることに変わりはない。



ただ、脳機能的欠陥が目には見えない形で存在し、それが人の思考に影響する可能性もあるのではないか?普通に生きてきて周りと違和感がなく暮らしていても、ほんの少しどこか壊れていることだってあるかもしれないよ、という考え方はあってもいいものだと思う。
それは、人間全てに当てはまることだと思う。


脳機能的欠陥があるから表にでてくるだろうという考え方とか、欠陥があるから悪い方向に向かうとか、本当は真逆もあるのだし決めつけがちな考え方をした途端、視野が狭くなるし、面白くなくなる。


それだけ人間という存在は神秘的だと思うから解明されていない可能性もたくさんあると思う。



***



繰り返しになってしまうが、サイコパスのドラマを見ていると心に闇を抱えた家族を思い出す。
社会で馴染むことができないまでに心に闇を抱えた人間が育った環境だったのに、なぜわたしだけそうはならなかったのか?
自分のことだがやっぱりとても興味深い。


サイコパス診断系をやるとほぼサイコパスかもしれないという結果がでる。


無意識でそういう考え方をしているのかもしれないが、少なからず養育環境は影響していて自分もそうなる可能性があったのかもしれないな、と思ったりする。


サイコパスのようになってしまった家族と、そうはならなかったわたし。


どこかで入れ替わっていた可能性もあるし、わたしが犯罪者になる要素は大きかったかもしれない。


そう考えたら、みんなも目には見えない何かしらの危険な要素を持っているかもしれないし、たまたま今、犯罪を起こさなかっただけかもしれない。


自分は大丈夫なんて思ってはいけない。



***



こうやって仮説をたてて考えることは自由だし、色々な視点で考えるというのはとても面白い。


色々な捉え方を発見し、物事を考える癖があるのはとても良いことだと思う。


これからも定期的に自分について考察していきたい。







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