寛容であれ。

こんばんは。ひかるです(^^)

 

 

「寛容であること」

 

とても大切なことですね。

ネット上でもリアルでも、ちょっと考え方が違うだけで排他的に扱ったり、攻撃する人がいますよね。

 

世の中を少しでも善くしていきたいという同じ目標を持っている団体や人間同士が足の引っ張り合いをしていることがあります。同じ目標を持っているのに非常に残念だなぁと見ていて思います。

 

攻撃している人たちの目的はもうすでに「世の中を善くしていきたい」のではなく、「自分の主張を認めさせたい、自分が正しい」が一番上なのだろうと思います。そういうのが透けて見えてしまうと当然攻撃している側を応援したくなくなります。

 

最初は「世の中を善くしたい」という目的があり活動をはじめ、みんながその姿に心を打たれ賛同してついていく。でも、その賛同してくれる人が多くなってきて承認欲求が膨れ上がり、自分が目立ちたいがために世の中を善くする活動をするようになる。

 

昨日の”○○であるとかないとか言ってるアンタが一番○○じゃねえんだよ論”でも書きましたが、そうやって いつの間にか目的と手段が入れ替わってしまうことがあります。
 

 

kirahika.hatenablog.com

 

 

 

先日アドラー心理学の岩井俊憲先生が「アドラー・ファシズムにならないように」をブログで書かれていました。

 

blog.goo.ne.jp

私は、アドラー心理学の影響力が増すことを好ましく思っていますが、あまりにもメジャーになり、他の心理学に 対して、あるいはアドラー心理学を伝える他の人たちに対して独善的・排他的・攻撃的なパワーを発揮することがないように慎重でありたい、アドラー・ファシ ズムの危険性を人一倍憂える立場の人間です。

 

私を支えるのは、ヴォルテール(フランスの哲学者、1694 – 1778)の 次の言葉 です。

「君の意見には賛成しないが、君のそう発言する権利は死んでも擁護しよう」

 

 

寛容であることの重要性を訴えています。

 

ここからはわたしの話になりますが、わたしは子供の頃から目的論で生きてきた人間なのでアドラーが一番しっくりきています。でもアドラーが一番いいかと問われたら、答えられないと思います。

 

わたしと考え方が非常に似通っていて、わたしはこれだと思った。
自分が体現できているものを周りに伝えていきたい。

ただそれだけのことです。

 

一人として同じ人間などいやしませんし、世の中にはわからないことがいっぱいあります。どれが正しいとか間違いだとかはありませんから。

 

 

わたしがアドラーを学ぶのは、まず”自分を知ること”が第一で始めました。そして第二に、人の心を少しでも善い状態にできるお手伝いをすることです。

kirahika.hatenablog.com

 

心の状態が善くなるのであれば、現状では考え方や手法なんて何でもありだと思ってます。

考え方や手法に縛られると視野が狭くなり可能性が減りますし、相手からすればどの考え方でもどの手法でもいいから、善くしたいし善くなればいいんです。

 

目的は「本人が望んでいる形にすること、善くすること」ですから。

 

 

こう書いてみますと、目的に向かってブレずに行動していくことは、寛容性が高いということかもしれません。その目的以外はどうでもいいと思いますからね。

 

 

kirahika.hatenablog.com

近年、超宗派の動きも見受けられます。

動き始めたのは現代に”それ”が必要だからでしょう。

 

 

寛容であれ。

 

 

 

 

 
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