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人生は自分でデザインする 【 きらきらひかる 】

-人生は自分でデザインする-     アドラー流で生きる 安西光のブログ

常習犯は自然に笑う。

こんばんは。ひかるです(^^)

 

常習性のある犯罪(例えば、痴漢や窃盗、詐欺、薬物依存など)というのは成功例があればその分だけ常習性が増すように思う。

 

「今回もうまく騙せた、誤魔化せた、見つからなかった」

 

人は失敗を恐れて成功したがる傾向が強い。

 

もしかしたら善悪ではなく成功できるかどうかで行動を決め「一番最初に何で成功したか」「成功数が多いもの」で人格や人生が大きく変わってしまう可能性もあるように思う。それくらい成功という体験は自己を決定づける重要なものかもしれない。

 

先日TVを観ていたら真面目であった男性がどのようにして窃盗や横領に手を出し常習化していったかというものがやっていた。

 

一番最初は罪悪感を持ちながらも窃盗する。盗んだ後、罪悪感で苦しみながらもある種のやり遂げた快感や成功したときの興奮が上回った。

 

罪悪感よりも快感を求め、さらに次から次へと常習化して当たり前と化していく。

 

例えば、犯人を初犯から現在までの姿を近くから観察していたとしたらどう見えるだろう?

 

最初はきっと罪悪感と後悔も入り混じった態度や言葉使いなのだろうと思う。何度も止めようと思ったに違いないがやめることは出来なかった。

恐怖心があるので、最初はバレないような小物から始めるが成功していくと、どんどんターゲットは大物にかわっていく。

当たり前となった時、態度や言葉遣いも第三者には簡単には見分けがつかないほど自然と振る舞えるようになる。

 

犯罪を犯しながらも他者の前でしれっとした態度で何事もなかったかのように微笑みながら話すことができるようになるだろう。そんなことは一切したことがありませんという態度ができるようになる。

 

この話はいわゆる刑事事件の犯罪だけではなくて、私たちの身の周りで比較的起こりやすい対人トラブル、嫌いな相手と仲良くふるまえる人や誰かに嫉妬心や嫌悪感を抱き相手を攻撃し始める人(要するに確信犯的に足を引っ張る人)や歪んだ承認欲求でコミュニティを破壊していくコミュニティ・クラッシャーも同じなのだと思う。

 

本心を隠してにこやかにえげつない手段で人を攻撃している様はそれを知った時点で「こいつ、初犯じゃねーな」「毎回こうやって誰かを攻撃してきたんだろうな」と想像ができる。

 

気の迷いではない、ということだ。

 

ある意味、嫉妬や嫌いという感情がわかりやすく態度に出ている人はヘタクソな初犯レベルで衝動的だった可能性も高いと思えばかわいいものかもしれない。

 

 良い人を演じながら嫌いな相手を目の前にしてにこやかに談笑しながら裏で人を陥れる計画をすすめる知能犯ほど陰湿でタチが悪いものはない。

 

もしやり続けている人がいるのであれば、きっと今まで成功してきたのだろうと思う。

 

だけど、世の中には賢い人はたくさんいる。

 

古畑任三郎でいえば、ドジでおっちょこちょいで頭の回転が悪い今泉くんや生真面目で一般的な西園寺くんしか登場せず、ただ単に捕まらなかっただけ。

古畑任三郎のような冷静に物事を考えられる、人をよく見てる人や頭のキレる人には出会わなかったから成功できていただけの話だ。

 

根拠のない次も捕まらないという自信ほど怖いものはない。

 

完全犯罪できないのなら犯罪はもちろんのこと、人を陥れるような悪いことはしない方がいい。そんなこと、当たり前の話だ。

 

どちらの「当たり前」を選択するのか。

 

それは個人の勝手だが、自分が悪いとわかっているのなら悪いことはしない方がよい。

因果応報、自分にはね返ってくる。絶対にね。


 

 

 

 


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