苦労した気になっていませんか〜自分が成長できるのは苦労の数ではない〜

こんにちは。ひかるです(^ ^)




お話を聞くとご苦労をされているようなのに「ちょっと幼稚、苦労しているわりには言動が浅いな〜」と感じる方々がたまにいます。


よく苦労の数だけ人は成長すると言われていますが実際はそうじゃないことに気づく。苦労の数がやたら多いのに成長しない人は確実に存在している。


私が出した結論は苦労の数ではなく、「苦難を受け入れて自分と向き合ってきた数」なんだと思いました。


苦難があったとしても、自分と向き合えずに他人のせいにしたり、環境のせいにしたりする。自分は被害者なのだという気持ちが消えない。自分の反省はしていない(改善しようと思わない)ので成長するはずもない。


本人は「いや〜、あの時は苦労したなぁ」と自分の中で苦労の中の一つにインプットされる。でも、本質的には自分と向き合っていないからスッカスカの苦労なのだ。


この類の苦労はいくら数が増えようともまるで成長しない。なぜならスッカスカ、中身が空だから。


これがわかってから「苦労した」って言葉で相手を判断しなくなりました。「で?その苦労をどう受け止めたんですか?」それを確認してから相手を判断するようになったのです。



なぜこう思ったかというと、そんな方々の話を聞いていて、ある共通点を発見したからです。



苦労話を聞いているときに、みなさん必ず「相手の悪口をしか言わない」んですね。


相手に悪いところもあったかもしれないけど、同時に自分も至らなかった。反省した。良い経験したので感謝している。って気持ちは態度に出ますでしょ。


「自分も悪かった感」が全くなし!!相手の悪口と自分がそれによってどう思ったか(酷かったとか辛かったとか)ばっかり。


そして、そういった方々がトラブルにあった時は自分の保身のために、相手に非があったように言うのです。酷い時ですと事実を捻じ曲げてでも自分は悪くないと主張します。何度もそういった場面を目にしてきました。


自分と向き合うこともせず、考えなくて済む楽な道へと進む。
苦労して自分が変われるチャンスを与えられているのに自分から捨ててしまっている。



若ければ「まだ若いからね」と思ってくれるかもしれませんが、そのまま大人になったら、誰も指摘なんてしてくれません。周りの人々は離れていくだけだと思うのです。


自分がそうなりたいのであれば止めはしませんし、幸せならそれでもいいです。でも出会ってきたこういった方々は大抵自分のことを好きではなく、とても依存的で幸せそうには見えない。

幸せそうに見せるのに必死
です。



それに「苦労を苦労と思わない人」の方が実は苦労してる人って多いと感じる。本人が苦労と思わないのは「試練」とか前向きなイメージを持っているのではないだろうか。

苦労とすぐに思う人はやはりどこかで逃げているのではないかと思う。



はたして自分は今までの苦難に向き合ってきたのだろうか?
自分が辛かった時や悲しかった時、負の感情を処理するために誰かを利用してきたことはなかっただろうか?


今からでも遅くはない。振り返って反省だってできるんです。
気づいた時点で変えられるんです。


ちゃんと向き合って歩いていかないとね( ´ ▽ ` )ノ


自分も心にとめて、気をつけたいと思います。