見てみぬふりをするたびに自尊心を失っていく人々

こんにちは。ひかるです(^^)




一昨日、電車に乗りましたら混んでいるのに席がぽつんと空いてました。見てみたら飴の袋のゴミが一つだけ落ちていた、、、


(残念!!!)


心の中で叫んだ私。

このゴミを誰かが拾えば他の人が座れるのに、たった小さなゴミでさえ拾わない人々。

隣の駅で降りる予定でしたが席のゴミを拾って座りました。そしてちょっと人間観察〜。


私がゴミを拾い、座った時に何人かこちらをチラ見しました。

(やっぱり気になってたんじゃないの〜(-_-)


私の勝手な推測ですがチラ見した人たちの大半は真面目な方なのだろうと思います。だから気になっていたのだろう。


「あのゴミがなくなれば、誰かが座れるのに、、、」きっとそんな感じかな?逆の立場だったら私はそう思う。


そして、私は隣の駅までの移動中考えました。

厳しく言ってしまえば、ゴミを拾わない人々は見てみぬふりをし、どんな理由があろうとも自分を優先させた人です。
自分さえ座れているから、自分は座らないから関係ないと思った人です。周りの目が気になり拾えなかった人も結局はそれに負けた人です。

私以外のその場にいた人たちはゴミを拾えなかったのと同じように自尊心を拾えなかった(棄てた)人ではないかと思いました。

反対に、私は見てみぬふりをせずゴミを拾った。行動を起こした。
周りのみんながやらないことをやり、次に座る人の役に立てたわけです。

それはゴミを拾うのと同じように自尊心を拾った(得た)のです。


こんなちっぽけな飴の袋一つですが、実はとても大きな尊いものを拾った。


世の中に自分に自信がない人が多いのはこの小さな小さな積み重ねが関係しているのではないかと思ってます。

本当はゴミを拾えば誰かの役に立つことはわかってる。でも、できない自分。やらなかった自分。本当はやらなければいけなかったのに。あの人は拾っていたけど私にはできなかった。

と、無意識のうちに「見てみぬふりをしていた自分やできなかった自分」に対して懺悔する。私はこんなことすらできない、、、と。

きっと真面目な人ほどそう思うとおもうのです。


これは色々なことに当てはまる。

「本当は○○したかったのに、▲▲できなかった」
「○○を見てみぬふりをしてしまった」

自分がやりたいと思っていたのに。やらなければいけないとわかっていたのに。やらずに後悔して、どんどん自尊心を失っていく。


そしてね、さらに大きな問題はこんなちっぽけなゴミすらも見てみぬふりをしてしまう、自分には害がない事すら無視してしまう大人たちを見て育っている子供たちが虐めを見てみぬふりをするのは当たり前なんじゃないかと思うわけです。

大人が「虐めはいけない!見てみぬふりはいけない!」と言ったところで大人たちの普段の行動が伴っていなければ説得力ゼロ〜〜。


これはやったほうがいいなと思ったら、周りの目なんか気にせずにどんどん行動を起こすべきだ。


ゴミを拾ったほうがいいと思ったら拾えばいい。
役に立ちたいと思ったら手伝えばいい。
○○をしなければならないと思ったら行動したほうがいい。


それらの行動が真っ先にできるようになった時、自尊心はどんどん芽生え、自分を大好きになれるのではないかと思う。

まずは見てみぬふりを止めようよ( ´ ▽ ` )ノ
自分のためだけではなく、他人や自分の子供のためにもなるのだから。


大好きな自分に育てるのは自分にしかできないのだから。