自律の光で心を照らす安西光のブログ【きらきらひかる】

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父の誕生日も知らない娘からの父の日の贈り物

こんにちは。ひかるです(^^)



母の日は母のことについて書きましたので、父の日は父のことを書きます。母の日の記事はコチラです。


母の日の記事で父は少し登場していますが、幼少の頃に父母は離婚をしていて、中学生までは月1度の面会交渉で父とは会っていました。

大人になって「やっておいて本当によかったな」と思うことは結構な割合で小さい頃に父から教わったことだったりします。お料理を教えてくれたのも実は父でした。

私が成長するにつれ、会う回数がどんどんと減っていき、そのうち電話だけになり、社会人になってから疎遠となりました。

それから生き別れ状態となり、どこにいるのかもわからず消息不明でした。その期間が約15年。

震災の約1年前に突然父の居場所を知ることとなり、会いに行きました。ちょっと性格も丸くなってて、頭は白髪で真っ白。でも相変わらずの父でした。
「また遊びにくるからね!」と言いましたら、「もう会えないかもしれないから」そう言いながら笑って握手を求めてきました。


父と会ったのはそれが最後でした。


震災から1ヵ月後、父は孤独死で変死体で見つかり、自宅で亡くなっていました。


色々な人から話を聞くと死ぬ2日前はピンピンして歩いていて、自力で病院に通っていたとのこと。身体で悪いところはありませんでしたが震災の映像を観てPTSDとなり、弱っていったようでした。「苦しんだ様子もなく、本人も死んだかどうかもわからないまま亡くなったと思います」と警察の方から検死結果を聞きました。


「あぁ、良かった。苦しまずに死んだんだ、、、」この段階ではこれしか考えられなかった。

父の自宅にもどり、亡くなった状態のまま残された現場をみて、ふと目に飛び込んできたのは灰皿でした。私が小学校の時に買った南部鉄器でつくられた灰皿。

細やかに細工がほどこされていたのに使いつぶされて模様がなくなってました。


「ずっと使ってくれていた」


もうそれだけで心にズドーン!ときちゃいまして。

それから遺品整理をしていると、これまたボロボロになった甚平やコーヒーカップやら出てくるわ出てくるわ、、、全部私が小さい頃に父の日にプレゼントをしたもの。

見つけるたびに心があったかくなりました。離れていても愛されていたんだなと思いました。


父が亡くなってから、ずっと忘れていたことを思いだしました。「私は父の誕生日すら知らない」という事実でした。



小さい頃からいなかったから父の誕生日なんて知らなかったし、いつなんだろう?って思っても聞けませんでした。
親の誕生日を知らないのか?と父に怒られるんじゃないかと思っていたからです。日にちがわかっていたから父の日だけは祝ってました。


誰かの誕生日を知っていること、祝ってもらえることは幸せなことなのだと思います。父だけじゃなく、小さい頃から一家離散だった私にとって、家族全員集まって誕生日を祝うことすら「有り難し」でした。



「あぁ、なんてダメな娘だったんだろうか」という思いがこみ上げてきました。怒られてもいいから誕生日聞けば良かったんです。


父のことで思いを馳せることなんて一度もなかったのにその夜はずっと泣きましてね。


「人はいつ死んでもおかしくはない。今を生きろ。」


最後に父から生きていく上で一番大切な真理を教わりました。それを教えるために神さまが最後に1回だけ会わせてくれたのだと思いました。


それから私の考え方や生き方ががらりと変わりました。



明日死んでもおかしくないんです。
だから自分も周りの人たちにも、できるだけ楽しく生きて欲しいの。


家族や周りの人も大切に。厳しく、そして優しく、ぶつかり合いながらも心通わせて欲しいんです。全ては有り難しですから。

お父さん、大切なこと教えてくれて本当にどうもありがとう。


PS
「今でもお父さんから教わったイカの塩辛つくってます」



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全国のお父さんへ。
一緒にいたら子供はもちろん姿を見てるけど、一緒にいれないお父さんも絶対にいつか子供が感謝するときは訪れます。

お父さんは世界でたった一人のお父さんなんですから。