「自分がされて嫌なことはしない」の一歩先を行ってみる

「自分がされて嫌なことはしない」

私はこの言葉にいつも違和感を感じていました。「私と相手は違う人間なのに、自分中心で考えて良いのだろうか?」と思っていたのです。


誰もがそう教えられて育ってきていると思いますが、自分目線の言葉であり、思いやる心を教えるために子供の頃に下地を作るための言葉かもしれないと感じるようになりました。自分を想像すればいいだけなのでとても実行しやすいからです。


大人たちはさらに一歩先をいった考え方をしてほしい。


相手がされて嫌なことはしない


「自分」を「相手」に変える。
大人ですから「生まれも育ちも違い、性格も、意思も、誰一人同じ人間などいない」と認識もできていると思います。

自分と相手とは違う人間なのです。
自分がされても大丈夫なものが相手がダメな場合もありますし、その逆だってありますよね。


まず相手がどんな人物か知らなければなりません。
そのためには相手を理解しようと努める必要性が出てきます。


この「相手を知る」って簡単そうで難しい。
人間関係を一人一人丁寧に扱わないといけません。


せっかく一緒の時間を過ごしているのにスマホの画面ばかりを見ていたり、相手の会話をさえぎって自分の話ばかりしたり、一緒の空間にいても相手の存在をおろそかにしていたら、相手のことなんてわかりっこありません。
人間関係を適当に扱って、わかっているつもりになってしまうことは愚かなことです。


相手がされて嫌なことはしない


これができるようになるには「相手を知る作業」と「相手視点で物事を考える、想像する力」が必要で二つがそろってやっと「彼女は嫌がるからやめよう」と考えられるのだと思います。相手を知る作業も入りますから、できるようになるには時間がかかるし、すごく労力がかかることだと思います。

でも、相手を知る努力をすることが大切なのではないかと思います。


相手を思いやる心を持つには、自分に余裕がなければなりません。


いつも何かに追われ、いつも比較し、いつも嫉妬し、いつもイラついて何かにあたってしまい、他人を受け入れられない人たちにはこの「相手がされて嫌なことはしない」はたぶん実行できないでしょう。


これができなければ「身体だけが成長した子供」のままかもしれないとちょっと思ってしまいました。


相手がされて嫌なことはしない


大切なので3回言いました。

実は4回言ってますが(笑)


私も肝に命じ、気をつけたいと思いますm(_ _)m