沈黙は金、雄弁は銀

事実しかみない人、真実にしか興味がない人というのはその傾向が強ければ強いほど、沈黙するような気がします。


まさに私がこういうタイプの人間で、自分で見たこと体験したことを重要視する。わからないことについては発言しないし、知識もなく体験することや相手の立場を知ることもせずに判断してしまうのは、はたして正しいのであろうか、、、という思いが強いからです。


物事に対して、真実を知るまでは明確にはできないので意見も言いません。

*情報が氾濫していて真実にたどりつくというのが困難であるので、ある程度自分でできる限り調べて、体験もして、知り得た事実=自分が納得できるところを「真実」と表現しています。


沈黙をする人とは、「意見ができない、自分がない人」のことではありません。物事を見極めるために沈黙しているだけ。


なるべく中庸の立場で物事を俯瞰することを意識していて、分析をして整理整頓をする。最終的な自分の意見を見いだすまでは意識的に黙って口には出さないのです。


色々な事実や立場を知っていくと、「何事にも正解はなく、善悪もない」という考えに行き着く。ますます判断がつかなくなる。でもそれが本当に「相手の立場や物を考えている証拠」ではないのだろうか、とも思ったりします。


私の中では一番「平和」というのが良くわかっている人々だと思ってます。受け入れる、理解できるから迷うのです。賛成も反対もない、争い(戦争)につながる対極の存在にならないというのは一番平和へとつながる存在だと思っています。


平 ・ 凹凸や斜頚がない。一様で、かたよりがない。
和 ・ 互いに相手を大切にし、協力し合う関係にあること。争いをやめること。調和がとれていること。


ふと意味を調べてみました。いかがでしょうか?
偏っていてはダメということです。


偏らないために、この「沈黙」の力というのはとても大切。


表面的なある一部分しか見ずに安易に拡散したり、批判を言ったり、そんな軽率な人たちがたくさんいる。(まるで黙っていることが悪いように言ってくる人もたまに見かけるのですが、黙っている=考えていない、という発想も短絡的すぎる)


物事を見抜く力がたりないのは、きっと考えることをしないからだろう。
深く考えずに、何事も疑うこともせずに、自分で調べもせずに発言をしてしまう。すぐに結論を出したがり、黙っていられない。ネット社会による繋がり過ぎの弊害でしょうか。


経験上、「沈黙」を知っている人間は徳が高い人が多い気がする。
沈黙には大きな力がある。沈黙は意思でもあり、沈黙すること(待つこと)で流れが変わる場合もあることをよく知っているからだ。


私も30歳まではこの「沈黙」というのがわからなかった。
ようやく沈黙することを覚えたのだが、これもやはり練習が必要だと感じています。


何かあったときは一旦沈黙すること。
そして、本質を見抜くように深く考えること。


考えれば考えるほど、調べれば調べるほど、善悪がなくなり、相手が一方的に悪いなどと決めつけることはなくなるだろう。


沈黙は金、雄弁は銀


ブログやSNSをしていると良く思う。
この「沈黙の力」が今一番大人たちが養わなければいけない力ではないだろうか。