安西光(ぴかりん)のブログ【きらきらひかる】

-自律の光で心を照らす-安西光のブログ

福澤諭吉的教育論を読んで〜自由とはなんだろう?〜

つい最近まで「自由とはなんだろう?」と考えにふけっていた。

ルールも無視して好き放題できると、きっとそれが「当たり前」となり、自由とは感じないだろう

私たちが自由と感じるのはルールに縛られたり、不自由であるからこそ自由と感じれるのではないか。

昨日のブログでも書いたけど「不自由さの中から自由は生まれる」最近は自分なりにこう捉えています。

致知5月号の福澤諭吉的教育論の特集ページで同じような考えが書かれていました。

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「自由と我儘との界は、他人の妨げを為すと為さざるとの間あり」
ではその「界」をどうやって学ぶのか。

福澤の遠縁にあたる英文学者で随筆家でもある池田潔は、十七歳から英国のパブリックスクールで過ごし、その経験を『自由と規律』という本にしていますが、英国の寄宿舎では、自由とは何かを考えるために徹底的に規律正しい生活を送るといいます。結局、無制限に自由な暮らしの中では分限はもとより、真の自由を知ることもできないのだと感じます。」

致知5月号福澤諭吉的教育論より)
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忙しい日々の中では何かについて考え抜くというのはあまりやりませんよね。

他人に「どう思う?」と聞かれた時に意外と答えられなかったり、自分はこう思っていたのかと再認識したりします。

自分なりに自由について考えてみてはいかがでしょうか?( ´ ▽ ` )ノ


話題がそれますが福澤諭吉といえば「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」

平等を訴えた有名な一節です。

実はそれに続く言葉があり、【それでも差が付くのは学問の有無である】実際には人の世は平等ではないと説いているとちょっと前に知りました。

この学問とは勉強という意味ではなく、役に立つ知識や生きていくためのに必要なこと、人格など、そういったものだろうと思われる(孔子のいう学問に近いのかな⁉️と勝手に解釈)

後に続く言葉って大切ですね。
意味合いが180度違いますし、私たちは切り取られた一片を見ただけで物を判断しがちです。

きっと上記のようなこの視野の広さや後から考えを修正できる寛容さなども学問に入るのではないでしょうか。

本日は学問にふれあっている穏やかな日です(*^^*)